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映画『関心領域』って、タイトルがすごく良い

映画『関心領域』って、タイトルがすごく良い

 本サイトの執筆陣数名で食事をした。その際に、次になんの評を書こうかと話していて、ふと思い出した。
「そーいや、『関心領域』評ならすぐ出せるかも。昔、あの作品がよく分かんなかったって言った友達にせがまれて、評論? 解説? みたいなの書いたんだよ。あれをベースにすれば―――」
 するとある執筆者が、驚嘆の声を上げた。
「『関心領域』がよく分からないってどういうこと!?」
「あれ案外難しい作りだよ? 歴史的な背景の説明ないんだから―――」
「いや、背景の説明なんていらない歴史だろ?」
 この執筆者の言い分も重々承知。確かに友人に解説を求められたときに「うーむ」と思ったのも事実だ。
 だが……
「いやいや、それこそ『関心領域』のハナシだよ。俺はその子を責める気にはなれないなぁ〜」
 そう、あの作品はまさに「自分の関心が及ぶ領域のハナシ」をしていて、その領域が狭い人を責めることができない。そんな映画になっていたと思う。

 まず、この映画、やっぱり難しいって!
 歴史的背景の説明がないのはいいよ。そりゃさすがに「ナチスって何?アウシュビッツって何?」という人はこの映画に"関心"を持たないわけだ。私の友人だって、さすがにそこはわかっていた。
 多くの人は「人類史として知っておかなければならないトピック」としてこの映画に"関心"を持つだろう。
 というか「アウシュビッツの隣に住んでいた、収容所所長のルドルフ・ヘスとその一家」っていう題材だけで、下世話なゴシップ感覚で、ものすごく"関心"を誘うってなもんで。

 映画は、本当になんの説明もなく、ただある豪邸に暮らす一家の生活が淡々と描かれる作り。この作品を、それこそ「ナチスって何?」というレベルの人に見せたら、普通のホームドラマに見えるかもしれない。
 旦那は家に部下を引き連れてきて、仕事の話をしている。「もう、せっかく理想の家を作って、お庭のお手入れなんかも楽しいのに、仕事仕事って、やになっちゃうわ!」そんな雰囲気でプリプリしている奥さんなんかが描かれるわけだ。
 おおっ、なんだかとってもありがちなホームドラマだ。
 そんな生活だが、そこかしこに違和感がある。
 例えば奥様自慢のお庭。そこにはユダヤの六芒星の腕章をつけた作業着の人が出入りしていて、花壇に肥料として灰を撒いている。
 ……って事は、ソレは、まぁ、そういう事です……よね?

 例えば先ほどの奥様が、同じ世代の親戚マダムを集めて「このコート、カナダから持ってきたのよねー」なんて話をしている。おお、これだってホームドラマのワンシーンみたいだ。
 これに関してはマジで説明全くなし。ただの「裕福な暮らしをしています描写」だと思ってスルーしそうになる。
 私は偶然、別の作品でカナダの意味を知っていたから良かったけど、分からない人はさっぱりだろうな。それを知らなかった所でホロコーストの歴史に無関心とか、そういうことでは絶対にない。
 ちなみにカナダとは当時の豊かな国から転じて、「収容されたユダヤ人の私物保管庫」を指している。
 アウシュビッツに連れてこられた囚人は「まずシャワーを浴びるから、(手荷物として許された一人一つの)トランクと、服をハンガーにかけてねー。ハンガーの番号覚えとくんだよー」なんて言われて裸にされ、最短だとそのままガス室に詰め込まれた。そのユダヤ人の私物は現金化されてナチスの活動費になっていたが、横流しも横行していた。
 で、その「素敵でしょー?」なんて言いながらマダムに見せびらかしているコートの本来の持ち主は?
 そう。塀を一枚挟んだ向こうで、24時間、休みなく、効率的に、殺戮されているわけである。

 私は(本作に限らず)ホロコーストの歴史にふれる時、一番恐ろしいのが「効率的に殺す」という考え方だ。
「射殺なんて弾も勿体無いし、撃つ側の精神的負担もあるから毒ガスにしようぜ?」
「でさ、そのガス室がそのまま火葬場になりゃいいじゃん!」
「じゃあさ、同じ施設が二つあって、交互交互で使っていくのはどう?」
 こんな発想のもと、まさしく国家プロジェクトとして計画・建設、そして実用されていたわけだ。

 でもさ、そういう会話って、私達の仕事にもあるよね?
 「ここを改善すれば」とか、「この工程を省けば」とか。
 それが改善なら良いけど、「不正だとわかっているけど、慣例として行われていること」とかはどう?
普遍的なグレーゾーンな仕事の話にする
 例えば、食品偽装や建築偽装は?
 もちろん「歴史上最悪の大量殺戮」と、それらの罪の重さは比較はできない。
 けど、日常的に、
「その挽肉、期限切れたからコロッケにしておいて」とか
「物価高でも市場価格に転嫁できないから、この材料を……」とかの会話と実践を、「仕事だから」という思考停止で行っている人も、今日にも当たり前にいるのだろう。

 その思考停止は、もちろんヘス所長の家族もそうだ。
 この映画を評する時に散々言われる音響の話が出てくる。
 「この時期、こういう殺し方を実施してたという記録があるから、この距離で、こういう壁があるって事は、こう聴こえているはずだよね」という緻密な計算のもと作られた音響効果。
 ずっと聞こえる叫び声。銃声。そして塀の向こうでは煙突から煙が上がっている。
 ここで映画冒頭の『旦那が部下を連れて来て仕事の話をしている』というシーンが思い出される。何気なく「仕事の話」として話していた内容。そういえばあの時、火葬場の増設の話をしていたよな、と。
 けど、まぁ、家族には関係ない話だ。だってお父さんのお仕事なんだから、しょうがない。

 この映画を評す時、多くの論者が「他人事じゃない」という言葉を使う。
 確かに「悲しい出来事だけど、しょせん歴史上の話だよね?」なんて事は絶対にない。それはマクロの話でいえば現在も世界中で起きている紛争とも言えるかも知れないし、ミクロの話では「お隣さんの子供、ずっと泣いてない? なんか皿割れる音しない?」みたいな話も含めて。
 だから「無関心は加担しているのと一緒!抵抗しよう!」という力強いメッセージを受け取ることもできるだろう。

 けど、同時に、やはり自分の身が一番可愛くて、絶対に「関心領域」は存在するとも思うわけで。
 「自分が殺されてでも、人殺しに加担したくない」なんて宣言を実行できる人なんて、極々一部だよな。そんな悲しい事も考えてしまった。
 だってそれこそ、ネメシュ・ラスロー監督の『サウルの息子』で描かれたゾンダーコマンダーなんてのはそういう役割じゃないか。
(補足:ゾンダーコマンダーはアウシュビッツの中でも、「ガス室の仕事を担当していたユダヤ人」の事。やはり仕事だからと割り切っているナチ党員でも、ガス室の運営や、そこから聞こえる断末魔の叫びを聞いたり、火葬場から遺灰を運び出すのは精神的苦痛が大きかった。なのでその役割すらユダヤ人に押し付けていた。)
 ここで「ヘス一家とゾンダーコマンダーが一緒」なんて暴論は口が裂けても言えないし、思ってない。けど、やっぱり「一人の人間に大きなうねりを止めることなんてできない」という悲しい考えも浮かぶ。

 しかし。だからこそ。本作には、とりわけ不思議な演出(と言うか不思議な映像効果)で描かれる一人の少女がいる。
 映画の数カ所。当時のサーモグラフィカメラのような映像になる箇所がある。そこで描かれるアレクサンドラという実在の少女。彼女は夜中にアウシュビッツ刑務所へ忍び込んでは、食料を初めてとする物資を配り続けている。
 これだって、ぶっちゃけ最初は意味がわからなかった。なんだよ!このネガフィルムみたいな映像は!と思ったよ。
 ※当時の軍用サーモグラフィだから、今の「熱いところが赤」のようにわかりやすいサーモグラフィではない。だからネガポジを反転させていると思った。
 それに彼女の活動が史実であると知ったのも、後々調べたからだ(ちなみに監督はご本人にお会いして、衣装などを提供してもらっている)。
 けど、映像の狙いがわかりにくかろうとも。彼女の背景を知らなかろうとも。彼女のその勇気の塊みたいな行動は、「大きなうねりを止める事はできない」という自覚と、それでも続ける小さな抵抗として、映画の中では燦然と輝いていた。

 そして、ラストに描かれる階段で嘔吐感を覚えるヘス。
 ヘスという男は確実に悪人である。それは本作上も歴史上も絶対的に動かない。
 しかしあの姿をどう捉えるか。私は、彼もまた人間で、「あの家に帰んのか。。。」というストレスに苛まれていたという姿に見えた。
 「彼は決して特別で、ドラマチックな悪魔の殺人鬼なんかじゃなく、あなたと同じ人間なんだ。つまり、あなたも状況によってはこっち側になり得るんだから、正しくいようね」という重いテーマがキチンと伝わってきた。

 とにかく、補足的な知識は自分で仕入れなければいけないし、変わった作りの映画だとは思う。しかし、ちゃんと理解しようという行動こそが「関心領域」を減らしていく行動だし、その結果、理解すればするほどシンプルな映画に見えてくる。
 この作品について考える。それこそが本作のテーマたりうる。そんな映画だったと思う。

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